1.時間とは何か

(数学者岡潔の言葉からの考察)


1. まえがき 


 我々の日常生活に時間[T]の観念は絶対不可欠である。


              

 自然科学は勿論のこと、社会科学においても時間は用いられている。 自然科学や社会科学の研究に数学を用いる場合において、当然のこと時間[T]を基準に用いるものと思い込んでいる。

 我々は時間を万物の根源的現象の一部だと思っているが、数学者岡潔は「時間は自明のことでない」と彼の講演で述べている。彼の結論として
「時間が問題」だから「自然科学は間違っている」としている。
 そこで、岡潔の述べた講演の一部を引用しながら、「時間とは何か」について考察する。

なお、本論は、拙ブログに記した時間に関する考察をまとめたものである。


2.概 要

結論を言えば、時間は存在しない。時計の内部にある機構(テンプあるいは水晶振動子)の運動と観測対象にかかる運動を比較しているに過ぎない。自然科学者は未だかつて「運動/時間」の比率を決定したことはない。岡潔の言葉により考察した結果、あえて時間を定義するならば、「時間とは、過ぎ行く運動の記憶、あるいは記録」である。


3. 「位置は時間の関数」ということ


 位置と位置の「隔たり」を距離という。距離(長さ)は基本物理量の一つである。 位置Aから時速60kmで1時間進めば、位置Bに至り、AとBの隔たりが60kmだと知る。ほぼすべての人がこれを自明のことと理解している。

 ところが、位置と時間について疑問を抱く人がいるようで、ネット上で検索すると次のような質問があった。 以下、位置は時間の関数?から引用する。

  • 位置は時間の関数? 物理を勉強いているんですが、位置をx(t)と書いてあるのを見て、「位置は時間の関数なのか?」という疑問が急に頭に浮かびました。 なぜ位置は時間の関数と言えるのでしょうか?

ある回答では、次のように説明している。

  • 空間的な距離(メートルなど)を位置と言います。位置の方向を示すのに「軸」という原則を用います。
    その距離を時間に置き換えただけです。
    X軸、Y軸、時間軸
    時間的な距離(秒など)も位置と言います。
    3メートル先→3メートルという位置
    3秒後→3秒という位置           単純に時間的距離を明示しているに過ぎません。


質問者は、この回答に納得している。 距離の「軸」も時間の「軸」も同じだという説明である。 ここで、位置Aから位置Bへ”移動”することを「運動」という。

「軸」として、X軸、Y軸、Z軸と時間軸は同じだということの前提として、運動が時間に比例して起きるという前提が暗黙の内に存在しているということである。 その暗黙の前提は、質問者、回答者、読者のいずれにも当てはまる。

これに、疑問を呈したのが数学者の岡潔である。

 

 4. 数学者岡潔の講演から


 
数学者岡潔の講演と解説は、数学者岡潔 思想研究会に詳しい。岡潔講演録の中から、自然科学は間違っているの内【2】自然科学者の時間空間から引用する。

--引用開始--

自然科学者は自然というものをどういうものだと考えているかということを代りに言ってやって、そして、それを検討するより仕方がない。

自然科学者は初めに時間、空間というものがあると思っています。絵を描く時、初めに画用紙があるようなものです。そう思ってます。時間、空間とはどういうものかと少しも考えてはいない。これ、空間の方はまだ良いんですが、わかりますから。時間の方はわかりませんから。

時間というものを表わそうと思うと、人は何時も運動を使います。で、直接わかるものではない。運動は時間に比例して起こると決めてかかって、そういう時間というものがあると決めてかかって、そして、時間というものはわかると思っています。空間とは大分違う。

人は時間の中なんかに住んでやしない。時の中に住んでいる

には現在過去未来があります。各々、全く性質が違うんです。それ以外、いろいろありますが、時について一番深く考えたのは道元禅師です。

が、その時の属性のうちに、時の過去のうちには「時は過ぎ行く」という属性がある。その一つの性質を取り出して、そうして観念化したものが時間です。非常に問題になる。

が、まあよろしい。ともかく初めに時間、空間というものがある、その中に物質というものがあると、こう思っています。

--引用終了-- (下線・強調は引用者による)


要点をわかりやすく箇条書きにする。

1. 自然科学者は、時間、空間があると思っている。
・自然科学は、初めに画用紙があるようなもの。簡単な模型である。その要素が時間、空間である。
2. 時間を表そうとすると、運動を使う。直接わかるものではない
・冒頭の位置と位置の隔たり(距離)を移動する「運動」を使って時間を表そうとする。 直接わからない。
3. 運動は時間に比例して起こると決めてかかって、時間が「ある」と決めてかかって、時間は「わかる」と思っている。
・自然科学者は、運動は時間に比例して起きると思い込んでいる。そういう時間はわかると思っている。
4. 人は時の中に住んでいる。
 
5. 時には現在、過去、未来がある。
 
6. 時の過去のうちには「時は過ぎ行く」という属性がある。その一つの性質を取り出して、観念化したのが時間である。
 ・時間という観念は、物質の運動の「過去」にある。
7. 時間、空間というものがある、その中に物質というものがある、と思っている。
・「時間、空間」という簡単な模型があって、その中に物質というものがある、と思っている。

以上をまとめる。

自然科学者は、宇宙を知ろうと「自然科学」という簡単な模型を用いる。 要素は、「時間、空間」であり、その中に物質があると考えている。  時間を表そうとすると運動を使う。 運動は時間に比例して起こると決めてかかって、時間はわかると思っている。

数学者岡潔は、人は時間の中に住んでいないという。 人は「時」の中に住んでいる。 「時」には、過去、現在、未来があり、「時」の過去の属性「時は過ぎ行く」から、一つの性質を取り出して、観念化したのが時間であるという。



 5. 自然科学者は【運動は時間から求め、時間は運動から求めている】


 今、ストップウォッチを使って100m走の記録をとるとする。その結果、11秒であったとする。
 距離100メートルは問題ない。 記録の11秒は、ストップウォッチによる計測からから得たものである。つまり、ストップウォッチの歯車並びにテンプの
運動から時間を作っている。デジタルのストップウォッチならば、内部の水晶の振動(往復運動)による。
 では、ストップウォッチ(による時間という考え)は、どこから来たのか。デジタルであれ、アナログであれ、ストップウォッチのメーカーに基準があるはずである。ずっと遡るとセシウム原子時計に行き着く。

            
写真1 こちらから拝借

しかし、セシウム原子時計とて、特定原子の電気的振動(運動)を計測しているに過ぎない。


ここから、いえるのは次の通りである。

(1) 運動は時間から求め、時間は運動から求めている。
(2) 運動/時間の比率は、未だ決定されたことはない。
(3) 求める
「時間」は存在しない。(我々が持つ観念的な意味の時間は存在しない。あるのは運動だけ。)
(4) 「自然科学」という模型は、宇宙を正しく表記しているとは限らない。
(5) 
時間とは、過ぎ行く運動の記憶である

           
図1 こちらから拝借

よく知る「振り子の等時性」も同じである。振り子の等時性は、別のストップウォッチにて作った”時間”と比較しているに過ぎない。具体的には、ストップウォッチの
運動と振り子の運動比較しているに過ぎず、ここに「時間」は存在しない。

言い換えると、自然科学者は、未だ【運動/時間の比率】を”直接に”決定したことはない。

詰まるところ、我々の常日頃感じている「時間」とは何か。
我々が感じることが出来るのは、物質・物体の運動だけである。 我々の肉体に備わる五感(視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚のいずれの感覚器官による刺激)は、すべて物質・物体の運動を感知することによって生じる。 物質・物体の運動は、パチンコ玉の運動の様なもの、あるいはその感触の他、熱や間接的な赤外線であったり空気の振動(音波)や芳香族元素などによる匂いなども含む。 だから、時間とは、五感に感じる物質・物体の運動による過去の記憶である。


重ねて言えば、
時間とは過ぎ行く運動の記憶あるいは記録を観念化したものである

 100メートル走の例でいえば、ストップウォッチの記録は、走者が走り終えた後にしかわからない。時間とは、過去の記録に過ぎない。過去の記録である時間を「時」の現在未来に適用できるかどうかは、別の問題である。 適用できると主張するならば、運動/時間の比率を決定してからにするべきである。時間を直接の物理量として決定する必要がある。

 


 6.相対性理論は解決にならない


アインシュタインの相対性理論は、既に歴史である。 少数ながら相対性理論が誤りであると主張するサイトが存在するのでご紹介する。
 黒月解析研究所キメラミームに掲載されている一連の「アインシュタインの相対性理論批判」
並びに
 杉岡氏による
 特殊相対性理論への重大疑惑 である。 それぞれの論は各サイトでお読みいただくとして、

特に杉岡氏の考察は、相対性理論における
時間を問題視している点において、岡潔と同じである。杉岡氏のサイトより肝心な部分を引用する。追記部分より

--引用開始--

のことを述べましたが、相対性理論は、時間・
空間概念を根本的に変革した理論です。時間のみならず、空間概念までも変えてしまいました。アインシュタインは、cというものを用いて(絶対視して)、時間・空間を再定義していったのですが、それはできない相談だったのです。
空間に関する、アインシュタインの決定的なミスを示しましょう。

  速度=
[距離]/[時間]・・・・・・・・・・②

 ②のように書けば、すぐ気付くでしょう。
空間を光速度cを用いて定義することは
できないのです。
なぜなら、空間(距離の概念、その測り方)を
速度cを用いて定義するには、その前に空間概念が明確に分かっていなければならないからです(②を見てください!)。
 にかかわらず、アインシュタイン出現以前の
素朴な空間概念で認識されていた光速度cを用いてまた空間を定義するという決定的ミスをやったのです!(そして、空間の方まで奇妙なものになりました)

--引用終了--


筆者Φ(nsw495kpr8)は、次のように考える。
特殊相対性理論による式

 E=mc2

について、その次元を解析すると、
エネルギーE [ML^2T^(-2)] 
c:光速度 [LT^(-1)]      である。

式の両辺に時間[T]が入っている。 上記の通り、両辺に時間[T]を入れることが出来るためには、予め運動/時間の比率が決められている必要がある。逆に云えば時間について、運動を用いずに決定していれば問題ない。
相対性理論は、運動と時間を巡る「循環論」に過ぎない。


7. まとめ


これまでの、考察により「時間は存在しない」、従って「時間軸という次元軸も存在しない」ことがわった。 我々の感じる「時間の経過」は、「
過ぎ行く運動の記憶」でしかないということである。岡潔の述べたとおり、時間は「我々が持っている”時(とき)”にかかる観念」だということである。
なお、本論において用いた「運動」は、時間[T]を含まないので注意。
古典物理学で用いられる運動量P(次元[MLT-1])は時間[T]を含んでいることから使えない。そこで、弧理論では、時間を含まない運動としている。 Pに_アンダーバーを付けたものとして区別している。

 また、相対性理論は、本質的な問題に切り込んでいるようでいて、解決にならないこともわかった。  恐らく、自然科学は近似であると思われる。 この点については、別途考察を試みるつもりである。


 

 

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                                   2015/11/25 掲載


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